70年前の旧いデマを盲信する、ベテラン論説委員の石川水穂さん

産経新聞論説委員の石川水穂さんといえば、筋金入りの論理右翼の重鎮で、「日本会議」「新しい歴史をつくる会」など、歴史復古運動のリーダーでもある方のようです。



その石川水穂さんは、昔学生時代にでもお読みになったのか、旧陸軍の情報戦資料を未だに信じていらっしゃるようです。



それは2週間ほど前にお書きになった論考。

【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 無差別爆撃の非道さを問う

01/26 06:54更新

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/118284/

その中にこんな一節があります。



映画の中で、ただ一つ残念な個所がある。冒頭の時代背景を説明するくだりで、米国の反日宣伝写真が挿入されていたことだ。中国・上海で、線路上に1人取り残された赤ん坊が泣き叫んでいる写真だ。日本軍による空爆の被害を訴える写真として、米国の雑誌「ライフ」の1937(昭和12)年10月4日号に掲載され、米国社会での反日世論が一気に高まったといわれる。撮影者は「ウォン」という中国系米国人だ。



 だが、この写真は反日宣伝のための創作だったことが、自由主義史観研究会などの調査で明らかになっている。1944年に米国で上映された反日宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」には、大人の男性が赤ん坊を抱きかかえて駅のホームから線路に運ぶ演出シーンが写っている









線路上に1人取り残された赤ん坊が泣き叫んでいる写真だ>

どうやら石川水穂さんは、昭和12年10月4日の『Life』誌に掲載された、この写真のことをいってるようです。





写真1









ところがニュース映画のひとコマであるこの写真、 もともと、<線路上に1人取り残された赤ん坊>ではないんです。





この写真が当時、1937年8月28日上海南駅に対する日本軍による爆撃の悲惨を伝えるものとして、読者が選ぶニュース写真ベスト10に選ばれたものですから、日本陸軍の情報部は必死になってこの写真の影響を打ち消そうと、





線路上に1人取り残された赤ん坊>なんていう状況は有り得ない、だからヤラセ写真だ、上海南駅空爆だってたいしたことない、とキャンペーンを張ったのです。石川水穂さんはおそらくそのキャンペーン文書の復刻版でも読んだのでしょう。



たとえば





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日本陸軍情報部のキャンペーンは、

1)赤ん坊が線路上に置かれているが

2)そんなことは有り得ないヤラセである

3)トタン屋根を集めたとか発煙筒まで焚いたとか

といったものでした。



ところが、

1)が間違いなのです。赤ん坊は線路上には置かれていません。赤ん坊はプラットホームに座っているのです。



写真2

 



ニュース映像の別のシーン(写真2)では、プラットホームに座っていることが良く分かります。そして、背景に映る瓦礫の位置関係アングルは、写真1と同じです。



自由主義史観研究会」の調査も破綻し、<赤ん坊を線路の上に置いた>という旧陸軍情報部が流したウソは、流石に今では使わなくなっています。




もっとも、 「自由主義史観研究会」の調査で発見されたとする<写真2>ですが、これも意図的にトリミングされたものであることが、今では曝れ曝れになっています。



写真3=トリミングされる前の写真2です。

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赤ん坊の背景にガレキがうずたかく積もっているだけでなく、右側の線路の上には、犠牲者の死体まであります。ヤラセどころではない惨状が表れています。




別の報道写真を見てみましょう。





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海南駅は惨惨たる状況です。



そして、この赤ん坊も右手指と左腕を肩から失って、泣き叫んでいたのです。包帯を巻かれて応急処置を受けた後でも激しく泣きつづけています。







それでもなお、産経新聞論説委員の石川さんは、<この写真は反日宣伝のための創作だった>といいきるのでしょうか?




ニュース映画とニュース写真から、上海南駅の見取り図を書くと、







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となります。

 

産経新聞大重鎮大団塊

論説委員の石川水穂さん!

赤ん坊を抱えるこの男性は、





LOOK 1937年12月21日号

 

爆撃被害の酷い駅舎側のガレキの中から、反対側のホームへと赤ん坊を運んでいるのであって、<駅のホームから線路に運ぶ演出シーン>だなんてことはありませんよ。




だいいち、反日宣伝映画がもっとも隠したいはずのヤラセ演出シーンをおおっぴらに見せてくれるものなのでしょうか?



LOOK 1937年12月21日号


A Chinese Baby Survives an Air Raid





On August 28, while hundreds of terrified Chinese huddled in Shanghai's South Station, 16 Japanese planes bombed the building. Two hundred were killed. The dramatic rescue of a child survivor is pictured here.





1 An Infant Survivor of the Japanese bombardment of Shanghai's South Station was found lying on the railroad tracks half hidden under the wreckage. Here a young Chinese man picks up the infant, starts for the opposite platform.





2 The Baby Howls as his rescuer picks his way through the wreckage. When the bombs struck South Station it was jammed with poor Chinese waiting to escape war-torn Shanghai on a train to the south. Two hundred were killed.





3 They Near the Platform... Two squadrons of 8 planes each bombed the station. At the same time, they bombed Nantoa, a native residential section of South Shanghai. A civilian section, Nantoa[ママ] was totally unprepared for the raid and the planes flew away unharmed after the bombing. Previously the Japanese had announced they might issue a warning if Nantoa[ママ] were to be bombed, but the actual attack came without warning.



一連の写真は、空爆後硝煙くすぶる中での救出劇であることは確かです。石川さんが試写会で見た映画、『明日(あした)への遺言』が、無差別爆撃の始まり象徴としてこの写真を提示したのは歴史的事実としての深い重みがあるからです。



 

 
『事実から目をそむける論説』、それが産経新聞の伝統とならないことを、祈るばかりです。