(13)軍の自決命令を確信 (12月23日朝刊総合9面)

内容に訂正の必要なし


 座間味島について。宮城晴美著『母の遺したもの』は読んだか?


 読みました。この裁判が、はじまってから、それに向けて提出される各種の資料を読むようになりましたから、その時点においてです。


 座間味島を含む慶良間列島の集団自決は日本軍の命令に発するとされている部分を訂正する必要はないか? その必要はない、と考えています。私が直接に座間味島という名をあげず、しかし慶良間列島での集団自決について、日本軍の命令として論評している部分の「命令」についての意味づけは、すでにのべたとおりです。


 なお、『母が遺したもの』に記述されている、一九四五年三月二十五日の、座間味村の指導的立場にあった人々とともに五人で守備隊長のいる壕に行く情景には深く印象づけられました。五人のなかの村の助役がこういいます。「もはや最後の時が来ました。私たちも精根をつくして軍に協力致します。それで若者たちは軍に協力させ、老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう、忠魂碑の前で玉砕させようと思いますので弾薬をください」。それに対する守備隊長の返事はこうです。「今晩は一応お帰り下さい、お帰り下さい」。


 私はこの返事に、強いリアリティを感じます。この通りの返事がなされたのだ、と考えます。もっとも重要な選択を、責任をかけて行わねばならぬ問いかけを受けて、返答を留保する、先送りする。その際の日本人に特有の(といいますのは、私の長年読んできた外国文学で、この言い廻しに出会ったことがないからですが)言い方がこれです。そしてその留保の間に、つまり決して否定されたのではない、それまでに積み重ねられていたタテの構造をつらぬく集団自決の命令が、島民たちによって、現実の問題となったのです。


 私は『沖縄ノート』において座間味島の集団自決について、その隊長命令のあるなしを論評していません。そして、現在の私は、渡嘉敷島においてと同様に、座間味島において集団自決への日本軍の命令があった、と考えます。それはこの裁判において、新たに行われている、生き残りの島民たちの証言によっても支えられている確信です。


 「書き直す」ことの大切さを述べているが、本件についてはどうなのか?(『石に泳ぐ魚』事件)


 私は今年で五十年間、小説(そしてエッセイ、評論)を書いてきました。その経験に立って、私が作り出した小説(そしてエッセイ、評論)の技法の、中心にあるものが、草稿の文章の書き直しを、必要と感じる回数、行い続けることです。私の草稿としての原稿とそれが定稿となる過程を実際に見てきている編集者は、私がelaborationと呼んでいる技法の実際をよく知っています。


 なぜ私が、定稿となるまでの様ざまな段階で、文章の書き直し、elaborationを行い続けるのか? それは、自分の表現を正確にするためです。私は原稿用紙にペンで文章を書く段階から、ゲラ刷りになった段階まで、繰り返しこれを行います。さらにもう一度(これも日本に特有といっていい発表形態なのですが、月刊の文芸雑誌に掲載してからも、単行本にする前に)書き直しを行います。そして、いったん単行本にすれば、それによって作者としての最終的な責任をとります。しかし、もちろんミスプリントの訂正は目につく限りしてきましたし、書いてある事実、論評に事実に反するところがあると自分で認めれば、訂正します。『沖縄ノート』については、その必要を認めておりません。(おわり)