(9)島民の「友好」を幻想 (12月18日朝刊総合6面)

償い語らぬ死の責任者


 「本土においてはすでに」で始まる次の段落は何を述べたものか? この段落において、私は先の段落で書いている、一九四五年に行われた集団自決の悲惨が、本土においてしだいに表立った声にならなくなってゆく時代状況のなかで、その守備隊長として責任のある人物が(ここでも個人名をあげていませんが、私は渡嘉敷島の旧守備隊長を指しています)、本土においてと同様、沖縄においても、自分を批判する声は起こらなくなっているのではないか、と夢想し、幻想することがあったはずだ、という私の想像を語っています。


 一九七〇年、実際にこの旧守備隊長が沖縄に向かったとき、かれは集団自決を引き起こすことになった日本軍の、この島での責任者として、その罪を認め、償いうる道があれば償いたい、と島民に向けて語るために行ったのではありません。かれは戦後ずっと考えてきた、「おりがきたら」渡嘉敷島を訪れて、島民たちの友好的な雰囲気のなかで「英霊をとむらう」、その企画の実現のために沖縄に向かったのです。ここで私が指摘しているのは(そして批判しているのは)右に述べたような一九四五年の悲劇を忘れ、問題化しなくなっている本土の日本人の態度であり、それに乗じて、沖縄でも、二十五年前の集団自決の悲惨をかれに向けて批判する者はいない、と考えるようになっていた、その旧守備隊長の心理についてです。私は新聞報道からその認識を誘われ、旧守備隊長の持っていたはずの夢想、幻想を、私の想像力をつうじて描きました。それは小説の方法ですが、私はこのエッセイ・評論にあえて用いました。


 そこで私の批判した「かれ」は渡嘉敷島の旧守備隊長であり、私は各種の現地からの新聞報道で「かれ」の発している言葉が、「かれ」の戦後作りあげたどのような信条から出ているかを、私が「かれ」に見出すと考える「夢想」「幻想」として書きました。「エゴサントリクな希求」とは、自己中心的なねがいです。


 「屠殺者と生き残りの犠牲者の再会」という表現を、私はここで批判的に描いている人物の、「夢想」「幻想」の特殊さを強調するために用いています。「生き残りの犠牲者」とは、集団自決の経験のなかから生き残った人たちです。このような過酷な経験をし、家族を自分の手で殺すこともしなければならなかった、その上での生き残りの人物を、私はその人たち自身犠牲者でもあると考えます。


 「屠殺者」という言葉を(私はこの仕方を自分の小説の技法として作ってきたのですが)、日本語であいまい化されている言葉を、それにあたる外国語とつき合わせ、自分としての訳語を作って正確にする、という仕方で使っています。その仕方での私の意味付けは、「むごたらしく人間を殺した者」です。


 なぜ私が自分の定義によるこの日本語を使用したか? 現在使われている日本語の辞書としての代表的な『広辞苑』には、「屠殺」はあり、「(肉などを利用するため)家畜などの獣類をころすこと。」という意味があてられています。


 しかし明治以来のわが国の翻訳文学、またそれに影響を受けて書かれた小説に見られることのあった「屠殺者」という言葉は、この辞書にはありません。「屠殺者」という日本語はbutcherつまり一般的には肉屋、そしてさきの字義による、家畜などを食用にするためにころす職業につく人のことを示します。ところがbutcherには、比喩的な意味として「むごたらしく人を殺す者」という使われ方もあるのです。


 今日の英文字でbutcherは文字通りの「家畜などを食用にするため殺す職業の人」という意味と、いまの比喩的な意味で使われ続けています。しかし、新造語としての「屠殺者」という日本語には、この両方の意味を混在させることで、食用の肉を作る職業人への差別的な使用がなされる危険があります。そこで『広辞苑』からは、この言葉が消されることになったのでしょう。


 そのような言葉の歴史を承知した上で、私はあの一節に「屠殺者」という言葉をbutcherの比喩的な意味をきわだたせて使っています。つまり、渡嘉敷島の集団自決においての「そのむごたらしい死の責任を持つ人間と生き残りの犠牲者の再会」ということです。