「ある神話の背景」すら読んでない昔日の実証史家、秦郁彦さん

秦郁彦さん


私はつい2ヶ月前までは、様々な立場から書かれた史料を幾重にも読みこなし、実証的に歴史の真実を解き明かす先生のお仕事に、ただただ敬服しておりました。また、解き明かすといっても、未だ解明せざる未明のゾーンをしっかりと認識することの重要性もあなたから学んだように思います。


そうした秦先生でありますが、今日の産経新聞「正論」への寄稿を拝読して唖然といたしました。「実証史家」の看板を降ろして、かつての蓑田胸喜ばりの国粋主義扇動家へと、転職なさったのでありましょうや。



あなたは、本日の論考で次のようにお書きになっています。

しかし渡嘉敷で現地調査した結果をふまえて書かれた曽野綾子『ある神話の背景』(1973年)で、自決命令がなかったどころか、隊長は島民に「自決するな」と制止していたこと、


秦先生! 真顔でこんなことを仰っているのですか? 赤松隊長は、「自決するな」と制止したなどと曽野氏に語ってはいませんよ。赤松氏は1971年の手記には、村民が集合したことすら知らなかったといっているのです。「自決するな」と制止、というのは安里元巡査が曽野氏に語った言葉にもありません。曽野氏自らの推定にも一切ありません。


この一言で、秦先生は「ある神話の背景」すらお読みになっていない事実が明らかになってしまいました。


さらに

『鉄の暴風』に依拠して書かれた『沖縄県史』も家永三郎『太平洋戦争』も、改訂版で軍命説を取り消す。


沖縄県史』を読めば、そのような取り消しの事実がないにも係わらず、昔日の「実証史家」である秦先生は、いとも簡単に原告弁護士の言を鸚鵡返しにして恥じるところがありません。

沖縄戦の専門家である林博史教授さえ著書の『沖縄戦と民衆』(2001年)で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていない」と

林氏は、直接の隊長命令は無くても「軍命」は成り立つ、といっているにすぎません。座間味村史においても同様です。


林博史氏本人の言はこちら
http://www.magazine9.jp/interv/hayashi/hayashi.php


軍命があった形にすれば厚生省の援護法が適用され、自決者の遺族に年金(1人200万円)が支給されるので、村当局に頼み込まれた2人の隊長は世間の悪罵(あくば)に耐え沈黙を守ってきた。だが死の直前に名誉回復を訴えた赤松氏の遺志もあり、今回の訴訟となったのである。事情を知る両島の村民たちが、貧しい村の経済を助けてくれた2人の隊長を「恩人」として遇しているのも当然といえよう。

 こうした「美談」を知る大江氏が法廷で自説を撤回、原告の2人に謝罪するハプニングを私は予期しないでもなかったのだが、淡い期待は裏切られた。

「美談」とは、昨年産経新聞がセンセーショナルに報じた「照屋昇雄証言」のことでしょうか。秦先生は証言者の名前をわざわざ隠しています。


あなたはかつて、済州島慰安婦強制連行目撃証言を木目細かく検証しましたね。今次は、「照屋証言」をどのように検証したのでしょうか?


また、あなたはかつて、将校や官僚からの聞き書きだけで南京事件の残虐行為の有無を論じた本を、なぜ、実行者となりうる下級兵士に取材しないのか、と強く批判しましたね。


そうした、秦先生特有の実証的な姿勢は、いったいどこへ言ってしまったのでしょうか?

さらに「隊長の持っていたはずの夢想、幻想を、私の想像力をつうじて描く小説の手法」だとか、曽野氏以下の大江批判はすべて「誤読」に起因する、と言い張ったときには国語の通じない「異界」の人から説話されている気がした。

ここに至っては、ただただ「ワシは大江健三郎が嫌いじゃ」といってるに過ぎないではないですか。はっきり申し上げてこれは、老醜としかいいようがありません。


曽野綾子氏が実際にどのような誤読をしたのかを大江氏は具体的に指摘したというじゃありませんか。そのことを明示してそれを批判するならともかく、それを隠して、法廷の内容を見聞きできない読者を煙に巻くとは、ただの老人の身勝手に過ぎないではありませんか。


秦郁彦さん


あなたは<実証史家>をお辞めになって、プロパガンディストに転じられたようです。