これって『偽証』?曽野綾子法廷証言・・・(2)
2008/01/06 03:42
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/436549/ のつづき
富山真順証言とは、
渡嘉敷島の守備軍(赤松隊長)の兵器軍曹が、
(1)米軍が上陸する前に
(2)少年たちや役場吏員に非常呼集をかけて2個ずつの手榴弾を配布し
(3)いざとなったら1個は米軍に投げつけ、1個は自決用に用いよと厳命した
というものです。
これに対し、沖縄大江裁判の原告は、
(イ)富山証言は1988になって出てきた後だし証言で信用できない
(ロ)「そんな面白い話があるのなら私が聞き逃すはずがない」
と、曽野綾子氏がいっている
を根拠に富山証言を否定し、
渡嘉敷隊の守備隊は、住民にも防衛隊員にも自決用の手榴弾など配ってはいない、と立証しようとしています。
これらの争点について、去る12月21日に行われた原告、被告双方の最終弁論の内容はまだ発表されていません。
しかし前のエントリーで述べたように、富山証言の内容の(1)と(3)は「切りとられた時間」執筆時の1970年頃に、曽野綾子氏が既に知ったことはその記述内容からも否定できません。
「切りとられた時間」の文章からは、曽野氏はもしかすると富山氏以外から聞いたのかもしれない、という可能性が残ります。でも、1988年時の曽野綾子氏の「誰からもそのようなことは聞いていない」という法廷証言が、その可能性をキッパリと否定しています。
このように曽野綾子氏の言動の矛盾は、証言が事実でありえない、信用するに及ばない、ということを客観的に示すものです。
曽野綾子氏は、自分のかつての法廷証言がいま他人を断罪する裁判立証として使われている以上、道義的にもその不整合、辻褄の合わなさを訂正すべきかと思います。
自分の言動が原告団によって勝手に使われているといった第3者にあるわけではありません。大江健三郎氏を断罪することの先頭に、曽野氏はいま進んで立っているのです。(それは月刊WILL1月号を見ても、産経の「正論」を見ても明瞭です。) 責任は重大です。
驚くべきことに、産経の「正論」で曽野綾子氏は、富山証言の内容に関連して次のように語っています。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071023/edc0710230343000-n1.htm
戦争中の日本の空気を私はよく覚えている。私は13歳で軍需工場の女子工員として働いた。軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない。当時のマスコミは大本営のお先棒を担いだ張本人であった。幼い私も本土決戦になれば、国土防衛を担う国民の一人として、2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得していた。
文学者というものはどうして、これほど不注意なものいいをするのでしょうか?
私は、
2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得 し た だ ろ う 。
とごく自然に状況を織り込んで読みとったのですが、私にコメントを寄せてくれたもっと若い方は、
2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得 し て い た 。
と書いているのだから、渡嘉敷島の少年兵が米軍上陸数日前に言い渡されたことと同じことを、曽野綾子氏も聞かされていた、と読むべきだというのです。
曽野綾子さんという方は、なんとまあ罪作りなのでしょうか!
曽野さん、1945年のある日、あなたも手榴弾2個を渡されたことがあるのですか? 手榴弾は渡されてはいなくてもそのシナリオは言い渡された経験があるのですか?
戦時中といえども東京渋谷の聖心学院という現在の皇后も卒業したお嬢様学校の教育のなかで・・・。
これこそ、曽野綾子さん、あなたが法廷で言い放った、
「もう飛びついて、きちんと書いたと思います」
というべき興味深い話ですね。
沖縄でも東京でも、文学者という職業の皆さんは、こうした詐術を誰も見破れないか指摘しません。同業者同士のいたわりが強いからなのでしょうか。それとも、曽野綾子氏は「ひめゆり部隊」「犠牲となった沖縄住民」を、「熱い想いで書いてくれた」。 『生贄の島』は戦記文学として優れたものだ、という評価のままなのでしょうか。
『ある神話の背景(改題して「集団自決の真実」』はそれとは全く違います。「集団自決」と「住民虐殺」によって住民の犠牲をしいた軍部隊指揮官の責任を、さまざまな文章詐術を駆使して弁護しようとするものです。
行き着く先は、大江健三郎氏が「あまりにも巨きな罪の巨塊」と表現した「慶良間列島800名余の住民の死」、その責任を住民自身に押し付けることであり、軍と戦争の遂行者を免罪することです。
繰り返します。富山証言は、
軍部隊の意志によって、手榴弾が「自決用兵器」として住民に手渡された
という確固たる事実を裏付けるものです。
裏付ける証言は、富山証言だけではありません。沖縄県史にも、渡嘉敷村史にも、座間味村史にもあります。座間味や渡嘉敷など慶良間列島だけではありません。沖縄本島の住民証言にも沢山あります。自決用として渡された手榴弾を肌身はなさずいる話は、曽野綾子氏自身の沖縄戦記にも、重要なテーマとして登場しているのです。
ですから、秦郁彦、中村粲や藤岡信勝といった沖縄戦記を読まずに政治的発言を続ける老人達が、
手榴弾は攻撃用兵器だから、自決用として軍が渡すはずがない。
住民が勝手に配って使ったんだ。
果ては、
住民が武器庫から一箱盗んだんだ
http://www.interq.or.jp/asia/showashi/bulletin.htm
とまで言ってるにも拘わらず、沖縄の戦記を読んだことがある曽野氏は、
軍国少女にも与えられたであろう、
2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオ
これを否定できないのです。
虚偽を言うもの同士が一蓮托生となることにより、一つ一つはもっともらしくても、互いに主張をうち消しあってしまいます。その矛盾を隠蔽しようとすると、結局、法廷や街頭で声高に誰かを罵る、そのなかで自己矛盾を溶解させる以外に方法がなくなります。
曽野綾子さん、こうした恥ずべき事態の種をまいたのは、あなた自身です。
ご自分の矛盾した証言を訂正するチャンスは逃さぬよう、御願い申し上げます。
(つづく)