集団自決:『玉砕命令』は既に下されていた。

2007/12/07 23:56

慶良間列島の集団自決の体験者の方々の中には、
「あれは自発的にやったことだ」と語る人もいらっしゃいます。


そりゃそうです。


米軍が上陸したら。戦えるものは闘い闘えないものは「自発的に死になさい」と、軍から命令されていたのだから。


その軍命に忠実に従ったからこそ、「自発的な死」なのです。
その軍命がなかったらありえなかった、「自発的な死」なのす。


では、
渡嘉敷島で赤松部隊の「軍命」はいつ出されたのでしょうか?
座間味島で梅澤部隊の「軍命」はいつ出されたのでしょうか?


曽野綾子さんは、それが結局わからなかった、といい、
文部省の検定官や審議会委員も、分からないといってます。


しかし軍命がなければありえなかった、「自発的な死」。
このパラドックス


島民は、隊長の声としての「命令」を、誰ひとり直接聞いてはいない、と曽野綾子さんは力説しています。そりゃそうです。頭上には砲弾飛び交うなか、「集団自決」をした住民と隊長のいる部隊陣地とは別の場所だったんですから。力説するまでもありません。あたりまえです。


しかし、住民集団には隊長の声は届けられなくても、手榴弾が届けられた。渡嘉敷では最初に32発、あとで20発が追加までされました。


言葉としての命令など、改めてする必要はありません。

「いざとなったら自発的に死ぬのだ。それがお国へのご奉公である!」、

それは、住民の義務として叩き込まれていたのですから。

「命令されて死ぬのではなくて、自ら死を求める!」

そうでなければ、お国のためになったことにはならなかったのですから。


家族が弾雨に晒されながら車座になったところへ、手榴弾が届けられるということこそ、命令実行の合図以外の何ものでもなかったのです。

      • -

時をさかのぼること沖縄戦開始の8ヶ月まえ、
サイパン島玉砕陥落の直後、大本営は陸海軍報道部長談話として、全国民に次のように通達しています。(内閣情報局発行の『週報』、昭和19年7月19日号、職場で隣組で廻し読み)
週報とは

http://ni0615.iza.ne.jp/images/user/20071208/182078.jpg


http://ni0615.iza.ne.jp/images/user/20071208/182124.jpg


サイパン島在留邦人は六月十五日、敵上陸するや、老若男女を問わず皇軍に協力一体となって挺身し、銃を執り得る者は悉く銃を執って、皇軍将兵と共に敵軍に突入して、壮烈な戦死を遂げ、また銃を執り得ざる者は概ね自決して護国の華と散ったものと信ずる。


我等は在留同胞のかくの如き殉国精神の顕現にこそ、日本民族絶対腐敗の潜在力と必勝の信念を力強く感得するのである、敵の誇示する機械力と物量力は、時に山嶽崩すべく大海をも翻すべし、されど絶対に奪うべからずは一片殉国の志である。

この全国民への通達のなかで、一つのことばが重要な2つの意味をもっています。


この通達の前、サイパン在留邦人が結果としてどのような最期を遂げたか、玉砕の地から大本営にその実況が報じられたはずがありません。バンザイクリフでの投身自殺も当然しらない、なのに、

『また銃を執り得ざる者は概ね自決して護国のはなと散ったものと信ずる。』


といってます。なぜ、報告もないのに、『信ずる』ことができるのでしょうか? 


重要な第一の意味は、そのようにサイパンの在留邦人を戦争指導する、そのように命令することが既定方針だったということです。つまり大本営は、軍命が徹底してそうなったであろうことを期待し、『信じた』のです。


そして第2の重要な意味は、この『信ずる』ということばによって、次の玉砕戦においても住民の『自発的な死』が徹底されることが、至上命題であることを宣言していることにほかなりません。


半年後沖縄では、第32軍参謀長の談話を出発点に同じことが、大きな『軍命令」として徹底されました。

「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ。即ち一人一〇殺の闘魂をもって敵を撃破するのだ」、「従って戦場に不要の人間が居てはいかぬ。先ず速やかに老幼者は作戦の邪魔にならぬ安全な所へ移り住むことであり、・・・・・・(『沖縄新報』四五年一月二七日)


もちろん、戦場に不要なものが安全なところへ移り住むことが出来なければ、彼等に求められるのは、サイパンで求められらことと同じ、『自決して護国の華と散る』ことだったのです。


特攻基地だった渡嘉敷島座間味島で軍のこの大きな命令は、繰り返し繰り返し徹底されたにちがいありません。戦隊長自らしなくてもその配下の基地隊将校や村の三役を通じて徹底されたのでしょう。徹底的に叩き込まれた軍命です。


そして米軍上陸。


戦隊長からの『集合命令』を伝達された住民は、それが軍の大きな自決命令の実行第一段階であることを充分に自覚したはずです。だからこそ子供たちに晴れ着をきせて集合したのです。


実行命令の第2段階は手榴弾が配られたことです。


そして第3段階は、村長が叫んだ『天皇陛下バンザイ』の雄たけび。
天皇陛下バンザイ』は突撃の合言葉であり、玉砕実行開始の合図なのです。


こうして、逃れられない玉砕の命令と執行の中で、人々は、
大本営、32軍の意図の通り、『自ら死を選んだ』のです。

『死』もまた戦力なり

強制による『自らの死』。そのパラドックスこそ、「集団自決」をしいた罪の深さです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://ni0615.iza.ne.jp/images/user/20071208/182205.jpg


楽譜には、「やや悲愴に」うたえと指示されている。


http://ni0615.iza.ne.jp/images/user/20071208/182207.jpg


大木淳夫と山田耕筰というゴールデン・コンビが、
大脳に働きかけた軍の殉死命令を、延髄に染み込ませる!


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(付記)
殉国の精神を謳いあげた大木淳夫は、敗戦後、戦争協力が批判され、宗教に傾倒する。いま中学校で歌われる『大地讃頌』は大木の詩。楽曲成立は1962年、作曲、佐藤眞。


http://www.ijn-jp.net/user24/sekiya/patio.cgi?mode=view&no=38&p=1 より


混声合唱のためのカンタータ「土の歌」


第一楽章「農夫と土」 
第二楽章「祖国の土」 
第三楽章「死の灰」 
第四楽章「もぐらもち」
第五楽章「天地の怒り」
第六楽章「地上のいのり」 
第七楽章「大地讃頌


第一楽章「農夫と土」


耕して 種をまく土 人みな生命(いのち)のかてを つくり出す土
耕して 種をまく者 農夫らの楽しみのたね 悲しみのたね
ともかくも たねがいのちだ
朝 星を見て 野良に出る 働いて ひたいに汗して 夕星を見て帰るのだ
たねをはぐくむ土こそは たねをまく者の夢だ望みだ そして祈りだ
花咲き みのる 毎年の約束の不思議さよ


第二楽章「祖国の土」


ああ 大地 踏んでみて 寝ころんでみて たしかな大地
ああ まして祖国の土の尊さ
大空の星を仰いで 高く仰いで 歩け歩け しかし溝にははまるまい
山河よ さくらの 菊の 花咲く丘よ
顔上げて 堂々と踏みしめて
この土を踏みしめて この土を譲ろうよ 祖国の土を


第三楽章「死の灰


世界は絶えて滅ぶかと 生きとし生けるもの皆の 
悲しみの極まるところ
死の灰のおそれは続く
文明の不安よ 科学の恥辱よ 人知の愚かさよ
ヒロシマの また長崎の 地の下に泣くいけにえの霊をしのべば
日月は雲におおわれ 心は黄泉(よみ)の路をさまよう


第四楽章「もぐらもち」


もぐら もぐら 土にもぐって日のめも見ない
もぐら もぐら それでもおまえはしあわせだとさ もぐら もぐら
地の下の穴の暮らしが安らかだとさ もぐら もぐら
火の槍におびえる者は 死の灰をおそれる者は もぐらのまねをするそうな
なるほどな 土から出て来て土にと帰る もぐら 
もぐら どのみちそれが人間か
わっはっは わっはっは もぐら もぐら 笑ってやれよ人間を もぐら


第五楽章「天地の怒り」


雷だ いなづまだ 嵐だ 雨だ 洪水だ
土手が崩れる がけが砕ける 橋が流れる
樹も垣も根こそぎにされる 濁流が家を呑む 人をさらう
地の上に山脈があり 地の上に重みがある
地の下に燃える火があり 地の下に怒りがある
地の上に絶えずかぶさる人間悪よ 地の上のなげきは深い 長い年月
火の山の爆発だ 地震だ 火事だ
溶岩が流れる 尾根が崩れる 落ちる なだれる 
火の海だ 修羅のちまただ
逃げまどう人の すさまじい叫び
うめき のけぞる ころがる
煙突が倒れる 時計台が崩れる 荒れ狂う町


第六楽章「地上の祈り」


美しい山河を見て 美しい花を見て 大地のこころを信じよう
恩寵を自然にうけて感謝しよう
ああ 戦争の狂気をば 鎮めたまえ
剣の乱れ 爆弾の恐れを さけたまえ
天意にそむく動乱を おさめたまえ
ああ 戦争の狂気をば 鎮めたまえ
地の上に花咲く限り よろこんで日ごと営み 悲しみも耐えて生きよう
ああ 栄光よ ああ 地の上に 平和あれ


第七楽章「大地讃頌(だいちさんしょう)」


母なる大地のふところに 我ら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる人の子ら その立つ土に感謝せよ
平和な大地を 静かな大地を 大地をほめよ たたえよ土を
恩寵のゆたかな大地 我ら人の子の 大地をほめよ たたえよ土を
母なる大地を たたえよ ほめよ たたえよ土を
母なる大地を ああ たたえよ大地を ああ


※作詞者の大木いわく、
「たとえ地上にいかなる災厄が降りかかろうとも、われわれは大地の本来の姿を思慕して祈りたい。壮麗なる山河、美しい草樹の営みを見て、大地の恩寵を感謝し、究極は創造主たる神に感謝して、大地の平和を祈りたい。祈らずにはいられない。」http://www.ijn-jp.net/user24/sekiya/patio.cgi?mode=view&no=38&p=1


かつての玉砕扇動者は悔やんだか?