曽野綾子氏の渡嘉敷島集団自決本を読んで

2007/10/18 07:12

曽野綾子氏の集団自決の真実(新編)」読んでみました。
赤松隊長を戦闘に翻弄された悲劇の主人公のように書いてありますが、果たしてそうだったのでしょうか?

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小説として読めば、赤松氏が住民にとって「君臨するとも統治する力なし」の困ったちゃんの支配者であったことがよくわかります。



赤松嘉次氏は、遮眼帯で目を覆い、特攻という一点の狭い視野だけを見つめるように訓練された25歳の青年でした。その彼が突然、舟艇破棄と米軍上陸によって、塹壕戦を維持する任務に転じなければならなくなったのです。しかし彼には軍民の人心を統率するという資質はなく、訓練すら受けてもいませんでした。



そのことが、293名の犠牲者を生んだ「集団自決」や、連合赤軍事件にも匹敵する6件の住民処刑などの惨劇を生んだ、遠い背景=風景であることが良く分かります。



そのことにおいて、曽野綾子氏のこの本を読めば、私でも充分に曽野氏と同等の赤松氏への同情心が掻き立てられます。しかしだからといって、彼への同情をとおして、赤松氏にそのような十字架を背負わした戦争というものへのロマンチックな共感を抱かせようとする曽野氏のもくろみには、どうしても乗れません。



君臨するとも統治できぬ支配者の結果責任を容認することはできないのは、支配者の苦悩よりは住人が蒙った結果を重視するのが、沖縄戦をみる今日的視点でなければならないと思うからです


曽野氏は、赤松氏への同情心喚起を梃子に、沖縄の世論となっている体験史実に異議を唱えています。そのためのツールが「陣中日誌」です。


曽野氏はあたかも赤松隊「陣中日誌」を当時の記述そのままの史料のように書いていますが、注意深く読むと、それは1970年に編纂されたものであり、元になったと説明している兵士の日記はもとより、「陣中日誌」そのものすら公開されていないのですね。


その上、元の資料からいっさい加筆や修正はないといっておきながら、赤松元大尉に記憶のない8月16日の斬殺を、「あれは 後で書き加えたものだから、陣中日誌に書いてあっても隊長は知らないはず」と元部下に曽野氏は弁明させているのです。


曽野綾子氏はルポルタージュを書いたのではなくて、小説を書いたのです。


私は、曽野氏が旧編「ある神話の風景」を書いた動機はもしかすると、赤松隊「陣中日誌」の中味があまりにも稚拙な弁解の作文に過ぎないことを知り、史実としてそれを裸で出版することは余りにも愚かとあわて、替わりに「陣中日誌」に基づく心象風景をノンフィクション小説にすることによって、赤松弁護を買って出たのではないかと推察するのです。


私は、大江健三郎氏が書いた心象風景を、曽野氏が書いた心象風景で裁こうというのは、文学の世界では有りうることだが、これを法廷で裁こうというのは大いに馬鹿げたことだとしか思えないのです。


曽野氏は、史実に忠実な第3者的な歴史家として振舞ったのではなく、当時世間から完全に孤立していた赤松嘉次元大尉を弁護するために、一肌脱いで 『ある神話の風景』というノンフィクション小説を書いたのだと思います。


それは今日、山口県光市一家殺害事件の犯人を「世間」に抗うように弁護する、死刑廃止の使命感に燃えた弁護団にも似た、曽野氏の任務意識なのではないでしょうか?日本国民の戦争参加意識をなんとしても是認させたいという使命感に燃えて。