沖縄戦裁判:船舶特攻第三挺進隊長さんのフシギ

ni06152007-11-15

昭和20年3月、沖縄慶良間列島座間味島で強制集団死=「集団自決」が起こった。

その時、座間味島にいた日本軍の総司令官は、梅澤裕さんという人でもう直ぐ91歳になろうとする方だそうだ。げんざい大阪地方裁判所に、作家大江健三郎さんを訴えている人でもある。

この人(写真右)は、
"自分は、住民の命を大切に考えていたので、集団自決の命令なんて出すわけがない"、と裁判で主張している。司令官=隊長でありながら住民の命を無視した、といわれることが、よっぽど腹に据えかねるのだろう。

梅沢さんはいう。
司令官である自分に自決するから弾薬をくださいと申し入れた村民に、ワタシは、バカなことをするな生き長らえよ、と諭したと。


だが、不思議なんだなあ?

そんなに住民思いの元司令官隊長さん。昭和33年つまり13年後まで、「自決させてください」と申し入れた村人たちの、その後の消息を全く知らなかった、知らないだけならまだしも、確かめようともしなかったそうです。関心を持ったのは、自分が「その時の島の隊長だ」、と週刊誌が書きたてた昭和33年からだったというのです。

この梅沢さんは昭和21年に復員した後は、「斬り込み特攻」で命を捨てた部下たちの留守家族を尋ねたり、手紙で、隊長としての不甲斐なさを隊員遺族に詫びたりしている。

でありながら、島民が「集団自決」したことを13年間も全く知らなかった、というのだ。
しかも昭和55年に島を訪ねたとき、座間味住民が自決した場所には見向きもせず、部下のことだけ尋ねたそうだ。

それがホントなら、
あなたは、ずいぶんと、自分勝手な隊長さんだった、んですねえ。